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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)4568号 判決

原告 中川テル 外一名

被告 森田為吉

主文

被告は原告中川テルに対し金三十六万円、原告中川久に対し金二万一千六百円及びこれらに対する昭和二十九年五月十五日以降それぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を支払わなければならない。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は仮に執行することができる。

事実

一、原告らは主文第一、二項と同旨の判決竝びに仮執行の宣言を求めその請求原因として次のとおり述べた。

(一)  被告は肩書地で製板その他の事業を営む者であるが、原告中川テルの夫亡中川喜三郎は木挽職であつて昭和二十六年三月三十日被告に雇われ、その指示に従い右事業場で木挽の仕事に従事中材木の下敷となり死亡した。

(二)  喜三郎と被告との関係は昭和二十四年頃から死亡当時まで被告方に木挽の仕事のある都度被告に雇われ命ぜられた仕事のある間は雇傭関係を継続し作業に従事し、賃金はすべて日給で当初一日三百五十円であつたが、死亡当時は一日六百円であつた。そして毎月平均五日ないし十日位被告方で木挽作業に従事していたのであつて、昭和二十六年二月下旬から三月二日頃までの間も被告に雇われ木挽作業に従事したのであるが、その頃から死亡の日までの間に(その日を確定することはできないが)被告の事業場にある欅材の木挽作業を命ぜられたのである。ところが同月三日より二十三日までは被告方の仕事のために福島県下に出張したので帰京後同月二十六日被告方で仕事をなし次で同月三十日欅材のスミカケ作業中その下敷となつたのであるが、右は雇傭契約に基く作業上の事故であり被告も当日分の日給として六百円を同年四月初旬原告中川テルに支払つたのである。従つて右死亡は労働基準法第七十九条にいわゆる業務上死亡した場合に該当する。

(三)  原告テルは亡喜三郎の妻であつてその死亡当時喜三郎の収入によつて生計を維持してきたものであり、原告久は喜三郎と原告テルの長男で喜三郎の葬祭を行つたものであるから使用者である被告は原告テルに対して遺族補償として喜三郎の平均賃金の千日分原告久に対しては葬祭料として同六十日分を支払わねばならない。

(四)  ところで喜三郎は労働基準法第十二条第七項にいう日々雇い入れられるものであり、かつその平均賃金は労働省告示第一号に基き東京労働基準局長の定めるところによれば三百六十円であるから被告は原告テルに対して三十六万円原告久に対して二万一千六百円を支払わなければならない。しかして被告は労働基準法施行規則第四十二条により遅滞なくこれが支払をしなければならないのに原告らが昭和二十六年十一月三十日到達の内容証明郵便で催告したに拘らず支払いをしない。よつて原告らは被告に対し右各金員ならびにこれらに対し本件訴状送達の日の翌日以降各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるため本訴に及んだ。

(五)  なお、本件については前記金員の支払をなすべき旨の昭和二十七年九月四日附足立労働基準監督署長の決定、同二十八年九月二日東京労働者災害補償審査会の審査がそれぞれなされている。

二、被告は「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」との判決を求め請求原因事実に対して次のとおり答弁した。請求原因(一)の事実中被告が製板等を業とするものであり中川喜三郎が木挽職であつてその主張の日にその主張の場所で死亡したことは認めるがその余の事実は認めない。同(二)の事実は争う。

昭和二十六年三月三十日における亡喜三郎の作業は被告との雇傭関係に基きなされたものではないから、その死亡は業務上の死亡ではない。即ち被告は木挽仕事のある都度喜三郎を雇い入れたもので継続的な雇傭関係はなかつた。もつとも昭和二十六年三月上旬より同月二十二日まで亡喜三郎が被告に雇われ福島県下に出張したことは認めるけれども、その後引続いて雇傭関係は存続していたのではなく、また帰京後同月二十六日喜三郎に細物の胴割り作業を依頼したけれどもこれは同日終了したのであつてその後被告が喜三郎を雇い入れた事実はない。なお被告方では木挽作業を主として武田正平に依頼しており、武田に差支えあるとき臨時に喜三郎に依頼していたもので、福島県への出張作業も武田の都合で喜三郎に出張させることとなつたものである。以上の次第で三月三十日の被告事業場における喜三郎の作業は被告の指示したものでなく、被告は当日群馬県に出張不在中で喜三郎は同日午前十時頃被告方にきて被告の妻から金六百円を借受けて附近の酒店で飲食したのち、借金のお礼として少し仕事をして帰ろうという考えから墨つけをしたものと推察する外なく、被告の妻も喜三郎の作業については全然知らなかつた。

同(三)の事実中原告久が喜三郎の長男であることは認めるがその余の事実は争う。

同(四)の事実中原告ら主張のとおり催告のあつた事実は認めるがその余の事実は争う。

同(五)の事実は認める。

三、立証〈省略〉

理由

一、被告は肩書地で製板その他の事業を営む者であるところ、亡中川喜三郎が木挽職であつて、昭和二十六年三月三十日被告の右事業で場死亡した事実は当事者間に争いがない。

二、よつて右死亡が労働基準法第七十九条にいわゆる業務上の死亡に該るかどうかについて検討する。

亡喜三郎が被告方に木挽の仕事のある都度雇い入れられこれに従事してきたもので継続して被告に雇われていたものでないことは当事者間に争いのないところであるが、成立に争いない甲第十号証の一及び三、原告中川久本人尋問の結果により成立の認められる甲第六第七号証と原告両名本人尋問の結果とを綜合すると、亡喜三郎は昭和二十五年夏頃から被告方に出入りし月平均五日ないし十日位雇われて木挽作業に従事してきたものであつて、被告の専属的労務者でなく、被告方に仕事のないときは他に雇われ、また継続的作業のため被告に雇われ中でも、他に急の仕事のあるときは一時中止して他に雇われその仕事を終つてから前の作業を継続することもあり、作業時間も厳格でなく、賃金は当初一日三百五十円であつたが死亡当時一日六百円と定められ日給で支払われたけれども作業時間により適当にその額を協定していたものであつて、その作業をなす日も特に指定しない限り喜三郎において随時被告の作業場に到り仕事をなしこれに賃金が支払はれるという状態であつたこと喜三郎は作業にあたつては朝九時か十時頃墨、鋸、指尺、やすり、弁当等を持参して被告の指示に従つてすみかけを行い(被告の指示がなくて行うことはない)これに基いて木挽をするのであるが、日没少し前に作業をやめ翌日も引続き作業を継続する時は鋸等を被告方に預けておいて帰宅し、翌日被告方で継続してなすべき作業のないときはこれらの道具を持帰ることを常としていたこと、喜三郎は昭和二十六年二月下旬から三月二日頃まで被告に雇はれ木挽作業に従事し翌三日より被告の依頼により福島県下に出張することとなつたがその頃被告は喜三郎に被告方にある前記欅材の木挽作業を命じたが、その作業日については特に指定しなかつたこと、そして三月二十二日帰京後同月二十六日被告の命により細物の胴割りに従事したけれどもこれは特に急がれていた註文品であつたのでさきに命ぜられていた欅の木挽作業をさしおいて行つたもので同日喜三郎は鋸等の道具を被告方に預けて帰宅し、同月三十日右欅材のすみかけに従事中その下敷となつて死亡したこと、以上の事実を認めることができ右認定に反する被告本人尋問の結果は措信しない。

右事実によれば、被告と喜三郎との雇傭契約は日々成立するものであるけれども、作業日を指定することなく或る仕事を命じたときは、喜三郎が随時被告の作業場に到りその仕事に従事する都度雇傭契約の成立する合意あるものと認めるのが相当であり従つて喜三郎が本件事故当日被告の事業場において欅材の墨かけに従事したのは雇傭契約上の作業を遂行したものであつて、その作業に従事中欅材の下敷になり死亡したのは、労働基準法第七十九条にいうところの業務上の死亡に該当するものというべきである。

被告はこの点について被告は当日群馬県に出張不在中であつて喜三郎が被告の事業場にきて作業に従事していたことは被告は勿論被告の妻も知らなかつたと主張し右の事実は証人森田ひさの証言により認められるのであるが前記認定のとおり、すでに被告に命じていた作業に喜三郎が従事する場合、特別に作業開始に関する被告の意思表示を要せずに雇傭契約が成立するのであるから、被告側において喜三郎の作業開始を知つていたかどうかは雇傭契約の成立に関係ないものといわなければならない。また、証人森田ひさ同湯川孝雄の各証言によると同日喜三郎が被告の妻から被告の不在であることをきき同人から金六百円を借り受け附近の酒店で飲酒していたことが窺われるのであるが前記各証拠によると従来も喜三郎は命ぜられた作業に必ずしも終日従事していたわけでなく、半日或いは午後三時頃に仕事をやめたようなこともありそれらの場合は日給の七割ないし半額の支払を受けたりしていた事実が認められるので作業開始が午後であるとの一事により雇傭契約の成立を否定できないし、また喜三郎の作業が借金の申訳の意味でなされたものであるとの被告主張事実を認むべき証拠はない。

三、ところで原告中川テルが喜三郎の妻でその死亡当時その収入により生計を維持してきたものであることは成立に争いない甲第一号証と原告中川テル本人尋問の結果により認めることができ、又原告中川久が喜三郎の長男であることは被告の争はないところであり、この事実と原告中川久本人尋問の結果によれば、原告中川久が喜三郎の葬祭を主宰した事実を認めることができるから被告は原告中川テルに対し遺族補償として喜三郎の平均賃金千日分、原告中川久に対して葬祭料として同平均賃金の六十日分を支払うべき義務がある。しかして喜三郎は前記認定のとおり日々雇い入れられるものであつて労働基準法第十二条第七項昭和二十二年九月一日労働省告示第一号第三項により平均賃金を算定すべき事由の発生した日以前三箇月間にその労働者に対して支払はれた賃金の額が明らかでなく、且つ当該事業場において同一事業に従事した日々雇い入れらる者がいないため東京労働基準局長が昭和二十七年八月二十六日その平均賃金三百六十円と決定したことは成立に争いない甲第九号証の二により明かであるので被告の支払うべき遺族補償は三十六万円葬祭料は二万一千六百円となる。

四、しかして本件について昭和二十七年九月四日足立労働基準監督署長の決定同二十八年九月二日東京労働者災害補償審査会の審査がなされていることは被告も争はないので原告らが被告に対しそれぞれ前記遺族補償三十六万円葬祭料二万一千六百円ならびに、これに対し、本件訴状送達の日の翌日であること記録上明白な昭和二十九年五月十五日以降それぞれ完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴請求は正当であるからこれを認容し訴訟費用の負担ならび仮執行の宣言につき民事訴訟法第八十九条第九十六条により主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数 綿引末男 三好達)

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